先日、近くにラーメン屋さんがオープンしたのですが、初日から大盛況でした。
その時、店長さんが、「最初はお客さんが来るか、すごく心配したのですが、杞憂に終わって本当に良かったです」とうれしそうに話していました。
その時、「杞憂」という言葉がすごく気になったんですね。
例えば、「杞憂」の「杞」って一体何なのかなとか・・・
ということで、今回は、「杞憂」や「杞憂に終わる」の意味、由来、例文、類語、そして対義語について解説をしていきます。
「杞憂」の読み方
「杞憂」の読み方は「きゆう」です。
時々「きう」と間違えて呼んでしまう方もいらっしゃるのでご注意下さい。
「杞憂」の意味
「杞憂」とは、心配する必要がないことを、あれこれと心配することを意味します。
心配の中には、大きく分けると、本当に問題があるから必要な心配と、無用な心配の2種類に分けられますが、杞憂は後者となります。
つまり、「杞憂=心配」ではありませんが、心配の中で、余計な心配のことを杞憂と言う訳です。
「杞憂に終わる」の意味
「杞憂に終わる」とは、「心配していたことが起こらず、余計な心配をする必要はなかった」という意味になります。
実際、心配をしている時は、最初から余計な心配であることが明らかな時もありますが、その一方で、本当に起こってしまうのか、それとも、実際は起こらないことなのか、物事が終わるまで分からない時も意外に多いものですよね。
例えば、自然災害への対応は、万が一の時に備えて心配をし過ぎる方が良いぐらいだと言えるでしょう。
ですから、物事が終わった段階で初めて、それは無用の心配であったことが分かり、「杞憂に終わる」という表現を使うのです。
「杞憂」の由来
「杞憂」は、中国の「列子」という文献から来た故事成語です。
「杞憂」の「杞」は、中国の紀元前にあった周の時代に存在していた小国の名前です。
そして「憂」は「憂える」ことを表します。
「列子」の中では、杞の国の人が、天が落ちて来たり、大地が崩れたりしないかとあり得ないことを心配して、食事も食べられず、夜も眠れなくなったという話があります。
そこから、あれこれと無用な心配をすることを「杞憂」と呼ぶようになったのです。
「杞憂」の例文・使い方
次郎
太郎
という感じで「杞憂」は使われたりしますが、他にもこういった使い方があります。
- この暑さの中で運動会をしたら、熱中症で倒れる人が出て来ないか心配だ。杞憂だといいのだが・・・
- 子供が転校した先で、友達とうまくやっていけるか本当に心配したが、どうやら杞憂に終わったようだ。
- 彼が活躍できるか心配したが、それはまったく杞憂だったようだ。
- 台風の爪痕は予想以上に大きく、人々の心配は杞憂でないことが明らかになってしまった。
- あなたが今心配していることの9割は杞憂に終わるだろう。
- ビジネスがうまくいかなければどうしようかといろいろ考えていたが、杞憂に終わって本当に良かった。
「杞憂」の類語
杞憂には以下のような類語があります。
- 取り越し苦労:あれこれ考えて無駄な心配をすること
- 強迫観念:意に反して頭に浮かんでしまった払いのけることが出来ない考え
- 下衆の勘繰り:余計な邪推を巡らせて相手の悪意や敵意を疑うこと
- 無用の心配:気にする必要のない心配
杞憂もそうですが、本当は余計な心配とか考えはしたくないという人がほとんどなのだと思います。
でも、ネガティブな感情はふつふつと湧いてくるものですよね。
「杞憂」の対義語
その一方で杞憂の対義語には以下の表現が挙げられます。
- 楽観:事態が良い方向に向かうだろうと前向きに考えること
- 気楽:心配や苦労をせず、のんびるとすること
- 暢気(のんき):物事をあまり心配しないこと
まとめ
「杞憂」とは、本来、心配する必要がないこといろいろ心配してしまうことを意味しますが、実際、こういった無用の心配をしているケースって本当に多いですよね。
かくいう私も人の事をまったく言えないのですが・・・
既にご存知かもしれませんが、心配事の9割は、実際には起こらない、すなわち、杞憂に終わると言われており、そのことは、本にもなっているぐらいです。
試しに、今、心配していることをノートに書き出してみて、1年後、あるいは5年後に見返してみたら、そのことを強く実感できるかもしれませんね。
私も、10年前を振り返ってみた時、昔の自分が今の自分の生活を想像できたかと思えば、絶対に無理だと断言できます。
そういった意味で考えれば、今から、老後の心配とかしても杞憂に終わる確率は極めて高いことも頭では、すごく理解できます。
ただ、感情の部分で不安や心配をなくすのは、非常に難しいのですが・・・
いずれにせよ、いろいろと余計な心配はしないで、一日一日を楽しくそして大切に過ごしたいなと思う今日この頃です。