芥川龍之介の羅生門に、サンチマンタリスムという表現が出てきます。
羅生門の中では、唯一の外国語とも言える言葉ですが、芥川は、なぜ、このような表現を敢えて使ったのでしょうか?
ここでは、サンチマンタリスムの意味も含めてお伝えしていきます。
サンチマンタリスムの意味
サンチマンタリスムは、フランス語で、スペルは、Sentimentalismeと書きます。
英語では、センチメンタリズム(sentimentalism)となります。
サンチマンタリスムとは、いたずらに感傷におぼれる心理的な傾向や態度を意味します。
ちょっとしたことで、感情が動きやすい傾向がある状態の時にこの表現を使います。
羅生門ではなぜフランス語を使ったのか?
サンチマンタリスムは、羅生門の中で以下のように使われています。
雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた。」と言うほうが、適当である。
そのうえ、今日の空模様も、少なからず、この平安朝の下人のサンチマンタリスムに影響した。
申の刻下がりから降り出した雨は、いまだに上がる気色がない。
そこで、下人は、何を措いてもさしあたり明日の暮らしをどうにかしようとして──いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
ここで、突然、サンチマンタリスムというフランス語が出て来ますが、普通に、感傷的な気分と表現しても良かったはずです。
芥川はサンチマンタリスムという表現を使って、どういう効果を狙ったのでしょうか?
この点に関してはいくつかの説があります。
読者の注意を喚起するため
日本語の文章の中で、サンチマンタリスムという言葉が、突然、出て来ると、読者の人達は、「これは何だろう?」と思うはずです。
そのように読者に感じさせることによって、読者の注意を喚起する効果を狙ったと思われます。
ただ、なぜ、英語でもなくドイツ語でもなく、フランス語を使ったのかという疑問が起こるかもしれません。
この点に関しては、芥川は、羅生門を執筆した当時、フランス文学に関心を持っていたと言われているので、その影響があるかと思われます。
また、英語のセンチメンタリズムよりも、フランス語のサンチマンタリスムの方が、読者は聞き慣れていないので、より新鮮に感じる効果を狙ったのではないかという説もあります。
さらに、ただ、日本語で感傷的と書くよりも、サンチマンタリスムと書いた方が、もっと広い意味がある印象を与えて、読者の想像を駆り立てる効果も狙ったのではという考え方もあります。
下人の心理の流れを現代人に置き換えるため
羅生門の舞台は平安時代です。
しかし、羅生門は、昔の話ではなく、今の時代にも通じる話として描かれています。
ですから、芥川は、サンチマンタリスムという言葉を使うことによって、読者が、平安時代の下人を、自分自身の姿と重ね合わせる効果を狙ったものと思われます。
まとめ
羅生門で、なぜ、サンチマンタリスムというフランス語を使ったかに関しては、学校のテストにも出て来るかもしれません。
もし、私が、テストで回答を書くのであれば、
「羅生門は、平安時代が舞台ではあるが、今の時代に通じる話であるため、作者は、読者が下人を自らの姿と重ね合わせる効果を得るためにサンチマンタリスムという表現を使った。
また、下人の心理状態に読者がより強い関心を持つことが出来るよう、サンチマンタリスムというフランス語を使ったと考えられる。」
という感じになるかと思います。
ただ、サンチマンタリスムという表現を使った、本当に理由に関して、芥川が直接、述べている記録はないので、真意を知る術はありません。
ですから、何が本当に正しいかどうかは、誰も分からないというのが実情でもありますので、その点は、ご了承下さい。
羅生門の意味調べまとめ