「鶏が先か、卵が先か」の意味や使い方を分かりやすく解説!

「鶏が先か、卵が先か」という話を聞いたことあありますか?

よくよく考えてみると、頭がこんがらがってくるようなややこしい話です。

そして、実は、今までも世界中で様々な専門家が答えを見つけるために議論をしてきました。

ここでは、「鶏が先か、卵が先か」の意味、使い方、そして類語に関して、分かりやすく解説をしていきます。

「鶏が先か、卵が先か」の意味

「鶏が先か、卵が先か」とは、どちらが先なのか、説明のしようがなく、堂々巡りになってしまう話を意味します。

鶏は、卵が元々あって、孵化しなければ存在することが出来ません。

一方、卵は産んでくれる鶏がいないと存在することが出来ません。

では、どっちが先に生まれたの?という話になりますよね。

これは私達の命や、この世界がどのように始まったのかという根本的な疑問に究極的には行きつく話にもなってきます。

「鶏が先か、卵が先か」解明はされたのか?

この問題について、歴史的に様々な議論がなされて来たのですが、出て来た答えは、分野によって異なります。

生化学的観点

鶏の卵巣の中に存在するOC-17というたんぱく質がなければ、卵の殻の結晶化が促進されない。

だから、鶏が先であると結論づけた人がいます。

しかし、では、最初の鶏がどうやって生まれたかという話になってしまいます。

その一方で、OC-17はなくても、卵は出来ると指摘する学者もいて、議論は継続中です。

数学的観点

数学の専門家は、年ごとの卵の生産量と鶏の飼育数を比較したところ、

  • 卵の時系列が持つ情報から鶏の飼育数は予測できた
  • 鶏の数から卵の数を予測することは出来なかった

という調査結果が出ました。

そこから、卵が原因になっている、つまり、卵が先であるという結論に達しまた。

進化論的観点

進化論では、種は突然変異と自然選択によって生物は進化していくと言われています。

ですから、鶏は、元々、鶏でなかった鳥が、突然変異によって、鶏が生まれたということになります。

その突然変異は、交配によって生じる遺伝子レベルで行われるため、卵が先だという結論に至っています。

神学的観点

創世記第一章には、

神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。

という記載があります。

つまり、神が直接、すべての鳥を種類に従って創造されたということで鶏が先だと言われています。

仏教的観点

仏教の循環的時間という概念によると、時間は循環しており最初というものが存在しません。

ですから、「鶏が先か、卵が先か」という議論自体が無意味だと言われています。

「鶏が先か、卵が先か」の使い方

「鶏が先か、卵が先か」という話は、鶏と卵の話だけでなく、私達の生活の中でも様々なところで起こり得る話です。

給料と仕事の関係

給料が安いと仕事のやる気が湧かず、成果を出すことが出来ません。

また、仕事の成果が出ないと、給料も上がっていきません。

労働者は、成果が出なくても、給料を先に上げるべきだとどうしても考えてしまいます。

その一方で、多くの経営者は、仕事の成果が出たら、給料を上げようと考えているでしょう。

そこで、「鶏が先か、卵が先か」と議論が起こってしまう時があります。

電気自動車と充電ステーションの関係

電気自動車が増えない理由は、ガソリンスタンドに該当するような充電ステーションがないからだと言われています。

その一方で、電気自動車が増えないから、充電ステーションが増えないという考え方もあります。

どちらに先に力を入れていくかという点に関しても、「鶏が先か、卵が先か」という話になってしまいますよね。

姿勢と痛みの関係

歩き方や座り方の姿勢が悪いと、膝や腰を痛めやすいと言われていますよね。

その一方で、膝や腰を痛めている人は、歩き方や姿勢も崩れてしまうところがあります。

どちらが先になるかは、人それぞれですし、「鶏が先か、卵が先か」という話になってしまうのかもしれません。

「鶏が先か、卵が先か」の類語

「鶏が先か、卵が先か」は以下のような類義語に言い換えることが出来ます。

  • 不毛な議論(ふもうなぎろん):まったく収穫がない話し合いや会議
  • 水掛け論(みずかけろん):両方が互いに理屈を言い合って解決しない議論
  • いたちごっこ:両社がおなじようなことを言って、なかなか埒があかないこと
  • 堂々めぐり:同じような思考や議論が繰り返し、少しも先へ進まないこと

厳密な意味に関しては、違う点もありますが、なかなか結論が出ず、考え過ぎてもあまり意味がないという点では共通していますよ。

まとめ

「鶏が先か、卵が先か」の答えに関しては、どういう立場の専門家であるかによって、結論は異なりますし、最終的な答えが出ている訳ではありません。

最終的には、考える人の価値観の問題になってくるのかなと思います。

ただ、私達の生活において、一見、「鶏が先か、卵が先か」に見える問題の中には、より良い解決法があるケースも多いので、そこら辺は、柔軟に考えていければいいですよね。