こんにちは!“言葉力”編集長のケンです。
私の友人で留学時代に付き合っていた恋人がいたんですが、その後、帰国してからは遠距離恋愛となり、そのまま、破局を迎えることになってしまいました。
その友人がポツリと「やっぱり、去る者は日々に疎しだなあ。」と話していた姿を見て、私もちょっと感傷的になってしまったのですが・・・
そこで、今回は、「去る者は日々に疎し」の意味、由来、例文、そして類語について解説をしていきます。
目次
「去る者は日々に疎し」の意味
「去る者は日々に疎し」(読み方は「さるものはひびにうとし」)とは、
- 死んだ人は日が経つにつれて忘れ去られていく
- 親しい人でも遠ざかれば日に日に関係が薄れていく
という意味です。
「去る者」は、死んだ人を指す時もあれば、親しい友人などを指す場合もあります。
かなり淋しい話ではありますが、私自身も、こういったことはいくらでもある話ですよね。
「去る者は日々に疎し」の由来
このことわざは、中国の南北朝時代に編纂された文選(もんぜん)という詩文集にある以下の記述から来ています。
去る者は日に以て疎(うと)く 来る者は日に以て親(した)し
(別れて去ってしまった人とは、日ごとに疎遠となり、やって来る人とは、日ごとに親密さを増すものである。
「去る者は日々に疎し」の例文
次郎
太郎
という感じで「去る者は日々に疎し」は使われたりしますが、他にもこういった使い方があります。
- 海外赴任をすると、去る者は日々に疎しという感じで、忘れ去られて存在になるので、その孤独感はかなりキツイものがある。
- 生前は激しい性格で周りの人から恐れられた社長も、去る者は日々に疎しで、亡くなった後は、次第に皆の記憶から消えていった。
- 彼女と別れた時は、立ち直ることが出来ないくらい落ち込んだが、去る者は日々に疎しで、日が経つにつれて、失恋の傷もすっかり癒えた。
「去る者は日々に疎し」の類義語
「去る者は日々に疎し」には以下のような類義語があります。
「遠くなれば薄くなる」
「遠くなれば薄くなる」とは、親しかった者でも、遠ざかれば情が薄れていくという意味です。
この場合は、特に生きている人が物理的に離れた時に、親しみが薄れていくという時に使います。
「間が遠なりゃ契りが薄い」
「間が遠なりゃ契りが薄い」の読み方は、「あいがとおなりゃちぎりがうすい」です。
親しい者であっても、遠くに離れれば、関係は薄れていくという意味ですが、このことざわは、主に男女関係について言う時に使います。
その他の類義語
「去る者は日々に疎し」には、他にも以下のような類語があります。
- 目から遠ければ心から遠い
- 遠ざかるは縁の切れ目
- 遠ざかるもの日々に疎し
- 他人の別れ棒の端
「去る者は日々に疎し」の反対のケースってあるの?
「去る者は日々に疎し」が当てはまるケースというのは、職場や恋愛で実に多く見られます。
これは私の感覚ですけど、大体、一緒にいた期間があれば、それと同じぐらいの期間、離れていれば、関係は消えていくことが多いですね。
つまり、1年間一緒だった同僚とは、1年間離れ離れになると疎遠になったりとか・・・
では、たとえ離れ離れになっても、反対に関係を深めていくにはどうすれば良いのでしょうか?
これも私の経験からお伝えすると、定期的に連絡を取り合うに限ります。
不定期じゃありません。定期的です。
私も今の妻とは、遠距離恋愛みたいな時期がありましたら、定期的に電話をしたり、手紙を書いたりしていく中で、逆に関係が深まっていきました。
あと、年賀状も年に一回ではありますけど、関係を維持していくには、とても有効ですよ。
年賀状も書かなくなると、普段、会わない人は本当に疎遠になるので^^;
あなたも大切な人との距離が離れたら、是非、定期的な連絡、実践してみて下さいね!