中島敦の短編小説である山月記(さんげつき)に「胸を焼く悲しみ」という表現が出て来ます。
これは、実際に胸を焼くのではなく、慣用句として使われています。
そこで、今回は、山月記に出て来る場合の意味も含めて、「胸を焼く」の意味や例文について解説をしていきます。
「胸を焼く」の意味
「胸を焼く」とは、ひどく思い煩ったり、思いこがれることを意味します。
この慣用句は「胸を焦がす」と同じ意味として使うことが出来ます。
ここでの「胸」は「心」を表します。
つまり、心が焼けるような気持ちになるほど、ひどく思い煩う時に、この慣用句を使います。
山月記での「胸を焼く」の意味
山月記での中では、「胸を焼く」という慣用句が以下のように使われています。
胸を焼くようなこの悲しみをだれかに訴えたいのだ。おれはゆうべも、あそこで月に向かってほえた。だれかにこの苦しみがわかってもらえないかと。
ここで、胸を焼くような悲しみを感じているのは、中国の李徴(りちょう)という人物です。
彼は、元々、科挙の試験にも合格するほど、優秀な人物でしたが、頑固で人とは調和せず、下っ端の役人では満足することが出来ませんでした。
そこで、有名な詩人になろうとしたのですが、なかなか思ったようには有名になれず、逆に生活が苦しくなります。
プライドをズタズタにされた李徴(りちょう)は、遂に発狂して、その挙句、虎になってしまうのでした。
虎になった李徴は、せっかく作った数百編の詩も記録して伝えること出来ません。
ですから、ここでの「胸を焼く悲しみ」とは、自分が気が狂ってまででも、こだわった詩を伝えることが出来ず、死んでも死にきれないほどの苦しみを感じる気持ちを意味するのだと言えます。
「胸を焼く」の例文・使い方
「胸を焼く」は以下のような使い方をすることが出来ます。
- 復讐の思いが、この胸を焼くのだ。
- 母を失い、彼女は胸を焼くような寂しさを抱えながら生きていた。
- 辛い後悔の思いが胸を焼く。
実際、「胸を焼く」は、普段の会話や生活では、ほとんど使われません。
どちらかと言えば、小説などで使われることが多い表現です。
まとめ
「胸を焼く」は、山月記には出て来ますが、辞書には出て来ないので、どんな意味なのか、気になる方もいらっしゃるかと思います。
この慣用句は、ひどく思い煩うことを意味しますが、「胸を焦がす」とも同じ意味なので、言い換えたりしながら、どんなニュアンスなのか味わってみるのも良いかと思います。