先日、ある新聞記事で「道徳の授業の中では、自然や人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めることも目的の一つだ。」という文言を見かけました。
その時、「畏敬の念」という言葉は、少し分かりにくい表現だと感じましたので・・・
ここでは、「畏敬の念」の意味、例文、類語、対義語、そして英語での表現について分かりやすく解説をしていきます。
「畏敬の念」の意味
「畏敬の念」の読み方は「いけいのねん」です。
「畏敬の念」とは、畏れて(おそれて)敬う心情を意味します。
主に、自然などの崇高なもの、偉大な人、尊敬に値する人などに対して抱く気持ちとして表現される時が多いです。
「畏れる(おそれる)」という表現は、「恐れる」や「怖れる」と読み方は同じですが、意味は少し異なります。
「畏れる」は、神や高貴な人物のような近寄りがたい存在に対して、敬う感情を抱くことを意味します。
「畏敬の念」は、「畏敬の念を抱く」、「畏敬の念を持つ」、「畏敬の念に打たれる」、「畏敬の念を感じる」、「畏敬の念に堪えない」という形で使ったりします。
いずれも、近寄りがたいという点では、おそれも感じているけれども、それ以上に敬う気持ちが強いと言えますね。
「畏敬の念」と「畏怖の念」との違い
「畏敬の念」とよく似た表現として「畏怖の念(いふのねん)」という表現があります。
「畏怖の念」とは、おそれおののくことを意味します。
「畏怖の念」にも「畏れ」が含まれているので、敬うニュアンスもあります。
ただ、二つの表現を比較すると、
- 畏敬の念:敬う気持ちがより強い
- 畏怖の念:怖がる気持ちがより強い
という違いがあります。
どちらも同じシーンで使うことが可能ですが、敬う気持ちをより強く表現したいのであれば、「畏敬の念」を使った方が良いでしょう。
「畏敬の念」の例文・使い方
次郎
太郎
という感じで「畏敬の念」は使われたりしますが、他にもこういった使い方があります。
- 登山をすると、自然に対する畏敬の念が湧いてくるものだ。
- 人は、自然の力の前では無力になってしまうことが多いので、自然に対してもっと畏敬の念を持つべきだ。
- 長い苦しみの時間を耐え忍んで、出産をした妻に対して僕は畏敬の念を感じた。
- スーパースターを目の当たりにして畏敬の念に打たれた。
- たくさんの人達が、ボランティアで駆けつけて来てくれて、感謝と畏敬の念に堪えない。
- 世界的に有名な役者の芝居を観ながら、観客は畏敬の念すら抱いた。
- 神社を参拝する目的は、神様に対して感謝と畏敬の念を示すことだ。
「畏敬の念」の類義語
「畏敬の念」には以下のような類語があります。
- 敬意:相手に対する尊敬の気持ち
- 尊敬の念:相手を尊敬する気持ち
- 崇拝:尊敬し、あがめること
- 厳粛な気持ち
- 謙虚な気持ち
- 敬いの気持ち:敬う心
- 恐怖:恐れること
- 恐れ:こわがる気持ち
「畏敬の念」の類語を見ると、「敬い」だけ、或いは「畏れ」など、単一の気持ちを意味する表現が多いです。
例えば、「尊敬の念」は、敬う気持ちは含まれていますが、畏れる気持ちが含まれていません。
そういった意味で、「畏敬の念」は、近寄りがたいおそれも感じているけれども、敬う気持ちも感じているという、より特別な気持ちを表す時に使える言葉だと言えますね。
「畏敬の念」の対義語
「畏敬の念」の対義語としては以下のような表現があります。
- 軽蔑(けいべつ):ばかにすること。かろんじさげすむこと
- 侮蔑(ぶべつ):侮り無視した扱いをすること
- 軽視(けいし):軽く見て重大だと感じないこと
- 蔑視(べっし):見下げること。さげすむこと
「畏敬の念」を英語で表現すると?
「畏敬の念」は英語で、“a feeling of awe”とか“a sense of awe” と表現することが出来ます。
“awe”には、「畏敬」という意味があります。
例えば、
- a sense of awe before nature (自然への畏敬の念)
という感じで表現したりすることが出来ます。
まとめ
「畏敬の念」は、神仏だけでなく、自然や偉大な人に対して、使う表現です。
人は、何かに対して、畏敬の念を抱く時、同時に謙虚な気持ちになれるものですよね。
ですから、そういった偉大な存在に触れながら、畏敬の念を頂く機会を持つことは、やはり大切なことなのだと思います。