先日、友達が、
「仕事柄、会社の社長に会うことが多いんだけど、傲慢で人を見下すような社長もいれば、本当に謙虚な社長もいて、いろいろ考えさせらることが多いよ。
やっぱり『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という姿勢って大切だよね~」
としみじみ言っていました。
そう言われてみると、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」って誰か有名な人も座右の銘にしていたなあといろいろ感じるところがありまして・・・
そこで、今回は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味や例文(使い方)について解説をしていきます。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは、学問や徳が積まれた人であるほど、謙虚に振る舞うものだという意味です。
稲は実を熟すほどに穂が垂れ下がって来ますが、その様子を人の生き方にも例えているわけですね。
逆に学問や徳がない人ほど、尊大に振る舞う傾向があるという意味も含まれています。
また、皆から尊敬されるような立派な人になるためには、謙虚な姿勢を決して忘れてはいけないと戒める時も使われたりしますよね。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の作者は?
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の作者は、「成語林」や「成語大辞苑」では、詠人不明のことわざとして扱われています。
つまり、作者は不明となっています。
ちなみに、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、五七五調の俳句になっているので、俳句が社会に定着するようになってから出来た言葉だと言われています。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の例文・使い方
次郎
太郎
という感じで「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は使われたりしますが、他にもこういった使い方があります。
- どんなに偉くなっても、実るほど頭を垂れる稲穂かなという姿勢を忘れちゃいけないよ。
- 会社の業績が段々良くなって来たけれども、実るほど頭を垂れる稲穂かなという気持ちで、決して奢ることなくこれからもがんばろう!
- いくら素晴らしい実績を残しても、実るほど頭を垂れる稲穂かなという姿勢を忘れたら、いつか信頼を失ってしまう。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は座右の銘としても
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、座右の銘としてもお勧めの言葉でもあります。
例えば、あの経営の神様としても有名な松下幸之助氏も、「実るほど頭を垂れる稲穂」を信条として、松下電器(現在のパナソニック)を世界的な大企業として発展させました。
また、早稲田大学の総長も
そうした早稲田の歴史と伝統の中で自然と生れた、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という姿勢というものは、「志はあくまで高く、頭(ず)はあくまで低く」生きる早稲田人の生き方をつくり出してきたのです。
と表現を使いながら、実るほど頭を垂れる稲穂かなという精神が、早稲田人に大きな影響を与えて来たと語っています。
まとめ
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、どんなに偉くなっても謙虚な姿勢を忘れてはならないという意味で、とても大切な精神だと思います。
ただ、その一方で、こういった精神は日本独特のものだと指摘する人もいます。
海外の反応を見ていると、そういった日本人の謙虚な精神にびっくりしたり感動したりする方も多いようです。
そういった意味で、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は世界に誇れる日本の素晴らしい精神を表した言葉なのかもしれませんね。