先日、失恋していた友達から「実は、今回、もっと素敵な人に出会うことが出来たんだ。捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこのことだね。」という嬉しそうな報告が来ました。
その時、「捨てる神あれば拾う神あり」って一体、神様は何人いるんだろうと考えてしまいました(笑)
そこで、今回は、捨てる神あれば拾う神ありの意味、由来、例文、類語、そして英語での訳について解説をしていきます。
目次
「捨てる神あれば拾う神あり」の意味
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、人から見捨てられるようなことがあっても、その一方で助けてくれるような人もいるという意味です。
人は、誰かから見捨てられたり、不遇な境遇にあったりすると、当然、落ち込みやすくなります。
しかし、そんな時でも、助けてくれる人も出て来るものだし、良いこともあるから、落ち込むなという意味で、誰かを励ます時に使ったりします。
或いは、実際にそのような体験をして、世の中、捨てたものではないと実感した時にもよく使います。
実際、「捨てる神あれば拾う神あり」ということわざは、恋愛やビジネスの世界でもよく使われますよね。
「捨てる神あれば拾う神あり」由来
日本には、昔から神道(しんとう)が根付いていましたが、神道における神は、八百万の神(やおよろずのかみ)で、自然のもの全てに神が宿っているという考え方があります。
これはキリスト教などが唱える一神教(神は唯一無二の存在)とは対照的な思想です。
ですから、一言で「神」と言っても、いろいろな神がいて、自分を見捨てるような神がいても、その一方で、自分を助けてくれる神もいるという考え方が由来となって、このことわざが生まれました。
「捨てる神あれば拾う神あり」の例文
次郎
太郎
という感じで「捨てる神あれば拾う神あり」は使われたりしますが、他にもこういった使い方があります。
- いきなりリストラに遭ってしまったけど、転職したら2倍の給料をもらえるようになって、本当に捨てる神あれば拾う神ありだ。
- 詐欺に遭って100万円を騙し取られたけど、、宝くじを買ったら100万円が当たるなんて、まさに捨てる神あれば拾う神ありだなあ。
- 捨てる神あれば拾う神ありと言うから、第一志望の学校に受からなくても、落ち込んじゃいけないよ。
- 就職の面接で4回連続で断れたが、5回目の面接でやっと合格出来て、捨てる神あれば拾う神ありであることを実感した。
- ビジネスで大ピンチの時があったが、捨てる神あれば拾う神ありということを信じてがんばっていたら、有力な支援者が現れてくれた。
- 辛い離婚を経験したが、今は素敵な男性と巡り合うことが出来て、捨てる神あれば拾う神ありということを実感している。
「捨てる神あれば拾う神あり」の類語
「捨てる神あれば拾う神あり」には以下のような類語があります。
「渡る世間に鬼はなし」
「渡る世間に鬼はなし」とは、世の中には無慈悲な人ばかりでなく、思いやるのある親切な人もいるという意味です。
この表現は、ドラマのタイトルということで、あまりに有名ではありますが、元々は、このような意味を持ったことわざなのです。
「人間万事塞翁が馬」
「人間万事塞翁が馬」とは、人の幸・不幸は予測することが出来ないので、容易に一喜一憂すべきではないという意味です。
「捨てる神あれば拾う神あり」は、まず悪いことが来た後に良いことがあるという順番であるのに対し、「人間万事塞翁が馬」は、何が本当に幸せで何か不幸せなことなのか予測できないという点でニュアンスが違います。
しかし、一喜一憂をするべきではないという教訓があるという点では共通した意味を持っています。
人間万事塞翁が馬の意味・使い方・類語・座右の銘にしている有名人「神」を使った類義語
その外にも、同じように「神」という表現を使っているけれども、微妙に表現が違う同義語もあります。
- 寝せる神あれば起こす神あり
- 倒す神あれば起こす神あり
- 捨てる神あれば引き上げる神あり
- 捨てる神あれば助ける神あり
「捨てる神あれば拾う神あり」を英語で言うと?
「捨てる神あれば拾う神あり」を英語で言う場合、英語圏はキリスト教が主流であり、一神教なので、まったく同じ表現はありません。
しかし、似た表現として、
- When one door shuts another opens.(一つのドアが閉じると別のドアが開く)
ということわざがあります。
まとめ
「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉は、悪い目に遭っても悲観したり、落ち込んだりする必要はないと励ましたりする時に、使うことわざです。
しかし、そう言われた人の中には「そんな根拠は、どこにあるんだ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、スピリチュアルの観点から見て、良くないことが起こった時に、それを感謝して乗り越えていえば、必ず良いことがあるという人もいます。
また、それ以前に一見良くないことに見えても、それは自分を成長させるために必要なものであったと悟る時もあります。
いずれにせよ、目先の出来事に一喜一憂することなく、どんなことがあっても、前を向いてしっかりがんばることが出来ればいいですよね。