先日、あるドキュメンタリーで、「天才と言われた彼だったが結局、日の目を見ることなく、選手生活を終えた。」という話をしていたのですね。
その時、「日の目を見る」って似たような表現がいろいろあるなあと思いまして・・・
そこで、今回は「日の目を見る」の意味、使い方、類語、そして対義語について解説をしていきます。
目次
「日の目を見る」の意味
「日の目を見る」とは、それまで知られていなかったことが、世間に認められるという意味です。
「日の目」とは、日光や日差しを意味します。
今までは、様々な事情で、まるで、地中に埋もれているかのように、誰にも知られることなく、場合によっては、不遇な期間を過ごしたりしていた人や作品が、やっと周りの人から評価されたりする時に使う慣用句です。
もちろん、誰にも知れないまま終わってしまうケースも数ある中で、世間に認められる日が来るということは、本当に感慨深いものがありますよね。
「日の目を見る」の例文・使い方
次郎
太郎
という感じで「日の目を見る」は使われたりしますが、他にもこういった使い方があります。
「日の目を見る」の例文1
「ノーベル賞を受賞することによって、今までの地道が研究がやっと日の目を見ることが出来た。」
ノーベル賞で評価されるのは、いわゆる基礎研究と呼ばれるものが多いですが、こういった研究は評価を受けるまで、本当に時間が掛かりますし、必ず評価される日が来るという保証もありません。
だからこそ、信念を貫き通して、ノーベル賞を受賞した方は、本当に素晴らしいと思います。
「日の目を見る」の例文2
「もう日の目を見ることはないと思っていたお蔵入りの作品が遂に公開された。」
世の中には、諸事情でお蔵入りになっている映画やテレビ番組の作品というものがあります。
基本的にそういったものは、誰の目にも触れないまま時が過ぎ去っていくことが多いのですが、それが遂に公開されることになった時、「日の目を見る」という表現を使うことが出来ます。
「日の目を見る」の例文3
「天才画家の作品は、彼が生存中、日の目を見る日はなかった。」
本当に素晴らしい芸術は、作者が亡くなった後でも、高い評価を受け続けてますが、逆に、評価を受け始める前に作者が亡くなってしまうこともありますよね。
画家のゴッホなどは、その典型的な例だとも言えます。
本当に素晴らしい作品は、一日でも早く日の目を見ることが出来るようになればいいのですが・・・
「日の目を見る」は誤用が多い?
「日の目を見る」は似たような表現がありますが、誤用も多いのでご注意ください。
「日の目を見るより明らか」
時々、「日の目を見るより明らか」という表現を使う方がいらっしゃいますが、これは誤用です。
この場合は、「火を見るより明らか(きわめて明らかで、疑いを入れる余地がないという意味)」が正しい表現となりますので、ご注意下さい。
「日の目を浴びる」
「日の目を見る」のではなく、「日の目を浴びる」と表現する人もいますが、こちらは誤用です。
恐らく、「脚光を浴びる」と混同して使っていらっしゃるのだと思います。
「陽の目を見る」
「日の目を見る」の漢字を「陽の目を見る」と書く方もいらっしゃいます。
一般的には、「日の目を見る」の方を使いますし、辞書に載っているのは、「日の目を見る」の方なので、こちらを使うようにしましょう。
「日の目を見る」の類語
「日の目を見る」の類語には以下のような表現があります。
- 脚光を浴びる
- 世に知れわたる
- 実を結ぶ
- 注目される
- スポットライトが当たる
いずれの表現も、世間から注目されたり、評価されたりするという点では、共通した意味を持っています。
ただ、それまでは、誰からも知られなかったという点を強調したい場合は、「日の目を見る」という表現を使うと良いでしょう。
「日の目を見る」の対義語・反対語
「日の目を見る」の対義語としては、「憂き目を見る」があります。
これは、「つらいことや苦しい出来事に見舞われる」という意味です。
もちろん、憂き目を見る日を乗り越えて、日の目を見る日を迎えられる時もある訳ですが、憂き目を見る日はとにかく早く過ぎ去ってもらいたいものです。
まとめ
「日の目を見る」には、世間から認められて良かったというような時などに使いますが、その一方で、それまでは、認められない時代が続いて本当に大変だったいう意味合いが含まれる時も多いです。
実際、苦労している割に、日の目を見ることのない日が続くと、精神的にキツイものがあります。
しかし、それでもいつか必ず、日の目を見る日が来ることを信じてがんばることが出来ればいいですよね。