先日、ある有名俳優の子供がテレビに出ていたのですが、周りの人か、「門前の小僧習わぬ経を読むで話がうまいなあ。」と言っていたんですね。
その時、「門前の小僧習わぬ経を読む」はちょっと聞き慣れないことわざだなと思いまして・・・
そこで、今回は、「門前の小僧習わぬ経を読む」の意味、由来、例文、類語、そして対義語について解説をしていきます。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の意味
「門前の小僧習わぬ経を読む」とは、普段、見聞きしていると、知らない間に、その物事を習熟することを意味します。
また、そこには、人は無意識の内に環境から大きな影響を受けているという意味も込められています。
実際、人は環境によって、善人にも悪人にもなり得る可能性を秘めていますよね。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の由来
このことわざは、元々、寺の門の前に住んでいる子供が、お寺から聞こえてくるお経を毎日、聞いている内に、自然とお経を読めるようになったという話が由来となっています。
江戸時代の頃、お寺の中には、寺子屋と呼ばれて、子供達に読み書きを教える場所にもなったりしました。
そこで、お寺に子供達が群がり、勉強もしながら、お経も覚えてしまうのは、自然な流れだったのかもしれません。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の例文・使い方
次郎
太郎
- 実家が農家だったこともあり、彼は、門前の小僧習わぬ経を読むで農作業を早々と覚えていった。
- 親がスマホを使っているのを見ていたのだろうか。門前の小僧習わぬ経を読むかのように子供は初めて手にしたスマホを器用に使いこなした。
- 上司と同じ環境で仕事をしていたら、門前の小僧習わぬ経を読むで口調まで似て来たようで少し困っている。
- 政治家の秘書をしていると、門前の小僧習わぬ経を読むで自然と政治について学び、後に、政治家になる人も多い。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の類語
門前の小僧習わぬ経を読むの似たことわざとしては、「勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすすめはもうぎゅうをさえずる)」という表現があります。
これは、「勧学院」という教育施設の雀(すずめ)は、学生が「蒙求(もうぎゅう)」という中国の教科書を読むのを聞き覚えて、それを囀る(さえずる)」というたとえが由来となったことわざです。
ですから意味としては、「門前の小僧習わぬ経を読む」と同じだと言えます。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の対義語
「門前の小僧習わぬ経を読む」の反対の意味を持つ言葉としては、「習わぬ経は読めぬ」があります。
これは、学んだことのない物事は、やろうとして出来るものではないという意味です。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の流れで考えれば、たとえ、普段から見聞きしていても、きちんと学ばなければ出来ないという意味になります。
これも一つの考え方としてはありですよね。
まとめ
よく環境に左右されないことが大切と言われますが、それでも人は環境の影響を強く受ける傾向があります。
ですから、良くも悪くも環境の影響を受けている人を見かけた時は、「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざを使ってみて下さい。