こんにちは!“言葉力”編集長のケンです。
先日、お金持ちと結婚をした女優さんが「彼の人柄に惹かれて」と言っていたのをニュースで聞いた時、私の友達が「敵は本能寺にありだ。本当の目的はやっぱりお金でし。」と言っていました。
その時、「ここで、そのことわざが来るか・・・」と思ったのですが、使い方としては大丈夫なのでしょうか?
そこで、今回は、「敵は本能寺にあり」の意味、由来、使い方、類語について解説をしていきます。
「敵は本能寺にあり」の意味
「敵は本能寺にあり」とは、本当の目的は、別のところにあるという意味です。
「敵は本能寺にあり」をことわざとして使う場合、「敵は別のところにある」という意味でも使われます。
ただ、敵だけに限らず、「目的は別のところにある」という意味もあるので、「本来の目的はやっぱりお金だ」というように目的を強調した使い方でも大丈夫です。
「敵は本能寺にあり」の由来・語源
「敵は本能寺にあり」の由来・語源は、ご存知の方も多いかと思います。
1582年、明智光秀は、主君である織田信長から備中国(びちゅうのくに)の毛利勢を攻めるよう命じられ、出陣します。
しかし、途中で、討つべき相手は信長であるとして、進路を変え、京都の本能寺に滞在していた信長を襲った話から来ています。
時代劇やドキュメンタリーで、明智光秀が「敵は本能寺にあり」という名言を格好よく叫んで、本能寺に向かうシーンはあまりに有名ですよね。
「敵は本能寺にあり」って本当に言ったの?
ただ、明智光秀がこの有名な名言を本当に言ったかというと、実は、言ってないというのが定説です。
もちろん、明智光秀が本能寺にいる織田信長を敵だと見なして襲ったのは、歴史的事実です。
しかし、もし、光秀が「敵は本能寺にあり」と叫んでいれば、それを聞いた部下の誰かが信長にいち早く、光秀が寝返ったことを伝え、光秀の作戦は失敗していたかもしれません。
「敵は本能寺にあり」は、あくでも後世の人が作った創作です。
では、どこからこの「敵は本能寺にあり」という名言は、誰が言ったのでしょうか?
その出典は、江戸時代後期の歴史家であった頼山陽(らいさんよう)が書いた「日本外史」という史書であり、そこに「敵は本能寺にあり」と書かれたのが始まりだと言われています。
その後、池波正太郎が脚本を書いた「敵は本能寺にあり」という1960年の映画や、加藤廣の小説「明智左馬助の恋」を原作として作った2007年のドラマ「敵は本能寺にあり」など、映画やドラマのタイトルにもなるほど、この名言は有名になりました。
「敵は本能寺にあり」の例文・使い方
次郎
太郎
という感じで「敵は本能寺にあり」は使われたりしますが、他にもこういった使い方があります。
- 大気汚染の原因は、外国からの汚染物質だと信じ込んでいたが、敵は本能寺にありで、本当の原因は自国の火力発電所であることが分かった。
- 敵は本能寺にありで、彼が英語教室に熱心に通う目的は、英語を学ぶことではなく、一目惚れした女性の講師に会いたかったからだった。
「敵は本能寺にあり」の類語
「敵は本能寺にあり」の類語として、「敵本主義(てきほんしゅぎ)」という言葉あります。
この言葉は、目的が他にあるように見せかけて、途中から本当の目的に向かうという意味で、「敵は本能寺にあり」から“敵”と“本”と取って作った言葉です。
「敵は本能寺にあり」の英語表現
「敵は本能寺にあり」を英語で言うと、
“Our enemy is in the Honno-ji Temple.”
です。
ちなみに本能寺の変は、“Honnō-ji Incident”と訳します。
直訳したら、本能寺の事故となりますが・・・
まとめ
「敵は本能寺にあり」は、明智光秀が言った名言として、一般的に言われていますが、正確に言えば、後世の人が作った言葉です。
この名言は、小説で読んだり、映画やドラマで見かけたりすることは多いですが、実生活で使う機会はあまりないかもしれません。
ただ、実際この名言はかっこいいので、本来の敵、あるいは目的は別のところにあると思った時は、是非、「敵は本能寺にあり」と叫んでみて下さい。
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